私が開院した理由

中学生だった時、友人が部活動のサッカーの試合中に腕を骨折しました。
本当に肘と手首の間で90度位曲がってしまいました。

サッカー部のキャプテンとして顧問の先生と一緒に行ったのが接骨院との
はじめての出会いでした。

苦痛に顔を歪めていた友人が固定をされて施術室から出てくるといつもと同じ
ような顔つきに戻っていました。

それを見て、顧問の先生も僕も安心したものです。

治療を間近に見て「こんな仕事があるんだ すごい仕事だな」と思いました。

月日は流れ、高校卒業後もバンド活動など好きなことをして暮らしていました。
酒問屋でアルバイトをする日々です。

仕事は町の酒屋さんにビールやお酒を配達することです。
それは重たいビールの大瓶を3ケース持ったりする重労働です。

当然のことながら腰が痛んで、夜眠れないようになりました。
自分の腕を腰に回してそれを枕にして寝たりしていました。

その時よく言われる

軟骨が飛び出して神経にさわってそのあとはずーっと痛くて
足にしびれや麻痺が出て日常生活もままならなくなる

当時は漠然と自分もそうなるのかなあと考え、不安な日々でした。

しかし仕事は続きます。

自分の身体のこともあって、その友人のケガを治してくれた接骨院のことを
思い出しました。

調べてみると接骨院の先生になるためには3年間学校に通わなければならない
ことが分かりました。

3年も学校に通うことに抵抗を感じ、一度は見送りました。

それから月日が経ち、ある時ふと自分の将来を考え行末が不安になりました。

思い返すと接骨院の先生になることを調べてから、約3年が経っていました。

3年てすぐなんだと思い直し、決心して受験勉強を始めました。

1年後競争率は高かったのですが、無事合格しました。

そして、3年間昼間は働きながら夜は学校に通いました。
柔道整復師(じゅうどうせいふくし)の養成校です。

接骨院の先生には、この柔道整復師という国家資格が必要なのです。
3年間養成校に通い、卒業することではじめて受験資格を得ることができるの
です。

当時すでに接骨院で働いていた友達が関節運動学の医学書を
学校に持って来て、知っている範囲のことを教えてくれました。

体が動くとき、関節の中はその関節により様々な動きをするとのことで
関節運動学を基に治療をすることで、より効果が上がるとのことでした。
自分でも医学書を購入し、読んでみました。

まだ臨床に携わっていなかったので難しく感じましたが
とても可能性を感じました。

卒業後は関節運動学を基にした治療を行っている整形外科に 約8年間勤務して、

外傷やリハビリ、関節運動学を学びました。

その8年間は、今でも僕の大きな財産となっています。

と同時に僕が今行っている関節包内運動整体法のもとになっています。

しかし病院での治療は薬によるところも多く、それが根本療法であるのなら
良いのですが

高血圧には 降圧剤
痛みには 痛み止め
風邪には 解熱鎮痛剤 などと今ある症状を和らげるだけの対症療法に頼る
ことも多く、対症療法の限界と矛盾を感じました。

病院では色々な患者さんが来院されるので勉強になり良かったのですが、
スタッフが多く、皆で同じようにやらなくてはならないことや治療方針を
変える時もミーティングをしてから行うなど時間ばかりが過ぎてしまうこと
もありました。

自分の理想である体そのものに主眼を置き、言い訳のできないすべて自分の
責任となる環境に身を置き施術したいと考え、台東区下谷に「のぞみ接骨院」
を開院しました。

その思いは今も持ち続け、さらなる思いで施術しています。

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